(50)「お母さんの勤め」(2024.10.29(火))
第50回 「お母さんの勤め」
「13年前、🏥入院中の私は作業療法士の方から「退院したら、まず家の回りの事をしなさい。家事を守るのが、😊お母さんの勤めだよ」と言われたことがありました。
私は小さな👧🏻👦🏻子が2人いたので「早く帰ろう」と思い、リハビリを一生懸命しました。
「まず最初に料理に✨チャレンジしよう」と作業療法士の方が言いました。
ジャガイモの皮むきが最初の😁訓練でした。
皮むき器もなく、私は片手で、どうやってむくのか不思議だったが、きれいにむけない歯がゆさもあり、ぎこちない皮むきジャガイモの完成でした。私は、嬉しさのあまり😂涙が込み上げてきました。
作業療法士の方は「すごい、すごい」と何度も、何度も喜んでくれました。
貴女は、いつも優しい顔で「今日は何をする?」「料理してみようか?」「ミシンで挑戦してみる?」と👩🏻私に「生きがい」を与えてくださった。
私が退院して間もなく、貴女は宮崎を離れ💒結婚。お子さんも1人いると言われました。
年に1回、📬年賀状が届きます。貴女の写真付きの年賀状を見て幸せな楽しい家庭を想像しています。貴女が「会いたいですね」と書き添えると、私も「会いたいです」と書いて送ります。
貴女から教わった「お母さんの勤め」は一生の🎵宝物として大切にしたいと思います」
2005.5.25(水)
★私は平成4年の時、脳出血で入院して11か月で退院しました。作業療法士の方は毎年年賀状が届きます。嬉しいです。
(49)「関心を呼んだ障害者の作品」(2024.10.28(月))
第49回 「関心を呼んだ障害者の作品」
「さる6,7の2日間にわたって、県総合文化公園でふれあいファスティバル「🎈げんき、げんき芸術祭」がありました。
今年で第12回になります。😁文化広場ではステージコーナー、ふれあい体験コーナー、県立美術館では作品展示コーナーが設けられ、県立図書館でも作品を展示していました。
障害を乗り切ってきた仲間たち。いろんな作品が置いてあり、どれもがみな本当に、🤗生き生きしていて迫力ある作品でした。製品販売コーナーには施設や作業所があり、🥦野菜やクッキー、花、ビーズの飾り物と、障害者の手作りの品々が並んで来場者の関心を呼びました。
「今日のこの催しの事を頭に置いて、またみんなで意見を交わそう」と思いました。そして、🎵また来年、「げんき、げんき芸術祭」に作品を出したいと思います。
今度は、何を🤔題材にしようかなぁ?と思案中。
みんなが趣向を凝らし、楽しくしたいものです」
2004.11.30(火)
★障害者が、みんなで和気あいあいと作品を作り販売していて素晴らしいです。
(48)「携帯で記念写真」(2024.10.23(水))
第48回 「携帯で記念写真」
「📱カメラ付携帯電話を買いました。どれどれ、と説明書を見ました。携帯で写真を撮り、パソコンに入れると出来上がり、てなわけにはいかないようで、操作するには😥難儀と見た。
帰ってきた👨🏻主人に、「どうしても分からないよ」と私。主人が説明書を見て、携帯電話にメモリーを差し込んで操作しました。「まあ、😁出てきた、出てきた!」。
見れば、大型ストアでとった友達や、✨日南で撮った3人の友達など、いろいろ出てきました。
「携帯で、いろいろ保存しておこう」「💻パソコンって素晴らしいね」「思い出になるね」とは、🎵主人の感想」
2004.9.21(火)
★20年前の事です。現在はスマホになり性能もよくなりました。変わりましたね。
(47)「旬の食べ物で食卓に彩りを」(2024.10.21(月))
第47回 「旬の食べ物で食卓に彩りを」
「お店に並んだ、いろいろな果物や🥕野菜たち。どれもが旬の香りのする食べ物と思いきや、今では何でもありの世の中。四季にあった旬の食べ物と言うのは無くなり、🙄一年中、お店に並んでいます。
私が小学校の時、夏休みも終わるころ、椎葉に遊びに行き、祖母が火鉢と言う物で🌽トウモロコシを焼いていたなぁ…。それは格別な味があり、大好きでした。
生き生きとして、みずみずしい野菜たち。🍆秋ナスや栗色のしめじ、シイタケやオレンジ色のカボチャなど、自然なものがありましたね。
果物と言えば、🍇ブドウやナシ、🍎リンゴ、🍊ミカン、クリなどを運動会や遠足にもっていきました。
それは、それは、おいしくって、😁ほっぺたが落ちる程甘いものもあれば、酸っぱいものもありました。
旬の味覚の意味をじっくりと理解し、食卓に彩りを添え、😃家族みんなで、頂ましょうか?」
2004.9.10(金)
★秋になると野菜や果物が、豊富ですね。旬の味覚は一段とおいしくなりますね。
(46)「康生選手に感動」(2024.10.21(月))
第46回 「康生選手に感動」
「😁康生選手、ありがとう!日本中の、いや🌏世界中のみんなが、頑張れ、がんばれ、と応援した、熱い、熱い感動でしたね。オリンピック開会前、偶然にも😊お父さんと再会し、私は「アテネで頑張って下さい。応援しています」と言いました。あの時のお父さんの目は、✨優しい目でしたよ。
今回は残念な結果に終わりましたが、宮崎県、いや🥋世界のファンが、康生選手の気をもらいましたよ。
もう始まっている、🥇4年後のオリンピックに向けて、気合と照準は、その「北京」にぴったり!夢を抱いて突っ走れ!
本当にお疲れさまでした。そして、🤗ありがとう!」
2004.8.31(火)
★井上康生選手頑張りました。みんなの誇りです。ありがとう!
(45)「消える「延西」記憶に刻む」(2024.10.16(水))